2008年08月15日

ルーツを辿る―2008.5.3

久々の更新です。

今日は重い話題になります……
この数年、8/6〜8/15にかけての記事で
私は自分の母や伯父のお話をして参りました。
昨年の記事では、母達が被爆した当時の話を書いたのですが、
その時に紹介した「当時を辿る」試みが実は今年実現をしました。
実行に移したのは、今年の5月3日。
以前聞いた話と照合し、若干調整されるべき事実も出て来ました。

終戦記念日である今日、そのお話をしたいと思います。

日差しが強いこと、母の足が長距離歩けないことを考え、
父が運転する車で移動・ポイントに近づいたときは下車して
歩いていくという方法を取りました。

スタート地点に向かう

まずは、母達が当時住んでいた家のあったと思われる場所へ
移動します。
前回、平和大橋の近辺と書きましたが、
だいたい近いところであるようです(現在の大手町付近)。

おうちのあった場所

川縁の歩道。
家はこの辺りにあったようです。

万代橋にて

歩道を歩いていった先、万代橋についての記録板があります。
(別の場所に、旧親柱が碑文と共に残されています)
写真に写っているのは、熱線によって出来た橋の欄干の影。
当時橋の上を渡っていた人や荷車等の影も残っていたそうです。
爆心地からわずかに880メートルの位置。
あの時、母達が家から出ることがなかったら……
そう思うと心が凍るようでした。


現在の白島線付近

自宅跡周辺を散策したあと、車で移動。
白島線の通っているあたりで降ろしてもらいました。

……右に見えるは、つい最近大ニュースになった
某○ーバンのグランドタワーですね……

当時の白島線は、今の路線とは少し違うとのことですが……。
八丁堀→白島に向かう電車の中で、母達3人は被爆をしました。


白島線終点付近・更に進む

こちらは現在の白島線終点付近です。
手前に見える横断歩道が進行方向。
ここから広島駅方面へ向けて3人は歩いていきます。


国鉄原爆死没者慰霊之碑の前にて

途中、公園で一休み……のつもりが、
思わぬ所で慰霊碑と出会いました。
「国鉄原爆死没者慰霊之碑」です。
(国鉄→JRになったの、ご存じでない方もおられるかな……?)
新緑の中に包まれ、ひっそりと佇んでいました。


更に進んでいきます

公園をあとにして、更に進みます。
ここからは住宅街の間を抜けていきますので、撮影は一旦中断。


白島九軒町原爆死没者慰霊碑付近

ゴール手前です。
奥に慰霊碑が見えます。
白島九軒町の町内会の方が建立、と書かれていました。
この地で犠牲者の方々が荼毘に付されたとのことです。

奥に進む男性が私の伯父。
手前の女性が母です。薄い緑の日傘を差しています。
去年の記事で、黒い雨を避けることができたのは
祖母が日傘を持っていたおかげだと書きました。
その日傘の色も緑だったそうです。
この日、デザインこそ違えど緑色の日傘を持って行ったことを
「偶然じゃね」と母達は言っていました。

ちなみに、その日傘はその後どこかで忘れたか取られたかで
無くなってしまったそうです。


饒津神社を対岸に臨む

そして、ここが今回の目的地。
3人が夜を過ごした川辺です。
対岸に見えるのは、饒津神社の森です。
当時、ここの松の木がバチバチと音を立てながら燃えている様を
眺めていたそうです。

ここに来たとき、母の反応が変わったのが印象的でした。
大半の記憶はないと言っていたのですが、
ここの記憶は残っているようでした。
感慨深げに辺りを見ておりました。


今は原っぱになってました

角度を変えて1枚。
新幹線の高架の下、見えづらいですが在来線の高架があります。
当時、この高架の上から真っ赤に燃えた列車が
川の下に落ちていくのを伯父は見たと言います。
地獄の光景を見てきたというのに
「不思議と恐くなかった」、そう伯父は言いました。


このあと、私達は広島駅付近で休憩をして
平和記念公園まで戻りました。
折しも時期はフラワーフェスティバル初日。
祭りの賑わいを抜けて向かった先は
「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」です。
こちらにある、遺影コーナーに祖父母の遺影を提供しているのです。

タッチパネル式の検索装置から祖父母を探しました。
久々に会えた祖父母の顔。
登録データから、ふたりとも当時29才であったことを知りました。
(祖父は入広被爆者になります)

母と伯父がこの世を去った後、ふたりの姿もここに収められるのでしょう。
記録を残し、記憶に留めるために。
残される私がどれだけのことを出来るかはわからないけれど、
この日経験した事や聞いた事をできるだけ後に残せるように、
今年も記事に書いてみました。

自分の起源を辿る道探しは、ここで一区切りです。
つづきはまた次の年に。
posted by か〜な at 13:20| 広島 🌁| Comment(3) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
毎年貴重なお話をありがとうございます。

日本に原爆が落とされた本当の理由について書かれた本が「窓辺でお茶を」で紹介されています。
http://plaza.rakuten.co.jp/sawakai/diary/200808180000/

私のブログでその記事を紹介して・・と思っていたのですが、先にか〜なさんにお知らせしたくて書き込んでいます。

図書館にはリクエストしたのですが、まだ何も連絡がありません。買ってもらえないのかなぁ・・。

来年もまた続きを読ませてくださいね。
Posted by PFC at 2008年09月16日 16:24
>PFCさん
こんばんは。ご無沙汰しております^^
ルーツを辿る記事、5月にようやく実現をいたしました。
辿ってみると、意外と身近な場所であったため驚いてしまいました。
本件については一応ひと区切りがつきましたので、
来年は別のお話をすることになると思います。

それと、本の紹介ありがとうございます。
リンクされたブログ記事を拝見いたしましたが、
とても衝撃的な話だと感じました。
図書館にリクエストというのはとてもよい案だと思います。
早く連絡があるとよいですね。
Amazonを検索してみると、国外編・国内編ともに入手可能なようです。
私も今度読んでみますね。
Posted by か〜な at 2008年09月16日 23:34
記事を書いたのでリンクしました。

私もアマゾンで目次や抜粋を読んだのですが「原爆の秘密 国内編」も衝撃的内容です。

もしかしたら被爆された方やそのご家族にとっては酷なことが書いてあるかも知れません。

私はすべてを鵜呑みにしたわけではなく事実関係を検証する余地のある情報だと思いましたが・・・。
Posted by PFC追伸 at 2008年09月18日 07:25
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